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SOUND CORNERvol.51

SOUND SELECT
FUGITIVE / EARTHSHAKER

いわゆるジャパメタ・ブームというのがありました。関西ではEARTHSHAKERやMARINOや44 MAGNUMを柱に(LOUDNESSは当時から別格扱い)、PRESENCEやRAJASやREACTIONやハリキューやスカンチ(ローリー氏の)やらがしのぎをけずる感じ。やがてDEAD END(初代ギターは同じ大学でドラムは近所)が出てきたり、他には豊中のSHELTERもありましたね。友人のジャミラもといJAMMYユカちゃんもレスポール並みに重いストラトを下げてメタルのギャルバンやって「バハマ」とかに出てたし、大阪の街に出ればジャパメタ系の人間をたくさん見かけました。おもしろいのはこの頃のジャパメタの主流がヴィジュアル重視ということ。(注意:新家はジャパメタ風の恰好をしたことがなく、髪も黒でたいてい全身黒ずくめでMOTOR HEAD風でした)で、LAメタルが出てきたら多くのバンドがRATT風に変身(苦笑)。そんな外見的にキラびやかでおねーちゃん受けして聴きやすい方向に進むバンドが増える中、反逆の芽が出てきたのも事実。そんな話をしていたらキリがないので、EARTHSHAKERの話に移りましょう。
自分は高校生の頃からBLACK SABBATHやMOTOR HEADフリーク、もちろんJUDASやMAIDENやSAXONも好きでしたが、やがてDIAMOND HEADのリフがカッコええとか、VENOMのバカバカしいまでの騒々しさがええとか、MERCYFUL FATEの『MELISSA』のタイトルトラックにシビレるとか言い出し、マイナー化・暗黒化・過激化傾向を強め、黒ずくめで「HELL AWAITS!」とか「DIE!」とか「OBEY!」とか口走るようになるワケですが、なんとジャパメタと呼ばれるモノの中では、最もメタリックではない部類に属するEARTHSHAKERが好きでした。それとジャパメタ枠ではくくれない感じですがFLATBACKER。だからこの時代の日本のHR/HMで好きなアルバムをあげろと言われたら、迷わずEARTHSHAKERの『FUGITIVE』&『MIDNIGHT FLIGHT』、FLATBACKERの『ACCIDENT』。これらがまっ先に浮かびます。その他の好きなアルバムといわれてもちょっと悩むかな。LOUDNESSの『DISILLUSION』の英語バージョンとかは好きだけど。LOUDNESSは日本語歌詞がどうにも馴染めませんでした。「IN THE MIRROR」や「THE LAW OF DEVIL'S LAND」なんか曲はめっちゃカッコええねんけど…。
EARTHSHAKERは時に歌謡曲的でもありメロディアスであることをウリにしたバンド、一方FLATBACKERはジャパメタというスタイルに牙を剥いたかのような、ハードコアのエッセンスも感じられるスラッシュ寄りのバンド。タイプとしては正反対ですが実は共通点があるのです。それはともにVoの表現力がきわめて優れていたということ。EARTHSHAKERは日本語詞をはっきり聞き取ることができ、初めて聴いてもその歌詞内容を把握できるという「歌モノの王道」、FLATBACKERは一聴したところ聞き取りずらいが、歌詞カードと合わせてやっとわかる、当時としては過激な内容を、それ相当の攻撃的な歌に乗せて放出していました。『BURRN!』だったと思いますが、ライターの大野奈鷹美さんがそのあたりのことをFLATBACKERとのインタヴューで触れていたような記憶があります。『ロッキンF』だっけ?
この『FUGITIVE』で最も有名なのは誰がなんといっても「MORE」でしょう。フェイドインしてくる印象的なイントロとリフ、鮮烈な歌詞、耳の奥にこびりつくギターソロなど、日本のHR/HM史上稀に見る名曲と言ってもさしつかえないと思います。他にも「記憶の中」も人気があったし、スピード感のある「YOUNG GIRLS」、ミドルテンポで歌詞に描かれている情景が浮かび上がる劇的なタイトルトラック「FUGITIVE」も秀逸です。ギターソロで反復されるメロディがきわめて印象的で、超絶テクに走るかわりにメロディラインを重視したギタリストSHARA氏の心意気が溢れています。自分は当時から「MORE」よりも「FUGITIVE」のほうが好きだったな。そして2曲のバラッドも軽快な「DRIVE ME CRAZY」もアルバムの中のいい位置にしっかりハマっていて、曲として「実にいい仕事」をしています。
このアルバムが発売されたのは1984年ですが、今回の紙ジャケ再発CDを聴いていると、一際懐かしさがこみ上げてくるのが「SHINY DAY」。その当時…自分は長髪にコケた頬とやさぐれた目、何をどうしたらいいのかわからないフラストレーションにまみれ、暴力衝動を溜め込み、気に入らなければ喧嘩し、仲間とタバコや安酒に明け暮れる中で漠然とした不安を語り、時には政治やメディアに毒づき、いつも右向け右の多数派に楯つき、反体制を呟き、端から見ると世間知らずのアホ以外の何者でもないくせに、それでもなんかちょっとだけ輝いているような気分でアテもなく暮らしていました。やがて将来を語れるヤツから順に、ハグレ者の小群れから身も心も「小ギレイ」になって抜けていき、結局残ったのは自分ともうひとりのみ。その「もうひとり」も事件を起こしたり巻き込まれたりでついに追われる身になり、音信不通になって20数年になります。生きてるんだか、とっくに骨か灰になってるんだか…。
そいつのみならず、当時の仲間たちも女の子たちも当然のように音信不通。きっと当時の面影もないデブのオッサン・パパになってるか、当時の悪いクセが抜けきらず離婚や離職を繰り返しているか…。女の子たちもママどころか多分立派なオカンになってることだろうと思います。当時つきあってた子もきっとフクレてることだろうなあ。細くてかわいかったけど親があれだからなあ…。う~ん、そうだとしたらあえて見たくはないなあ。向こうも見られたくないだろうなあ。「無事を祈ることが多くてしんどいわ…」と言ってたのを思い出すなあ。そんなニュアンスのことをちょっと前にも言われたけど、たいていそれが最後の会話になるんよな(苦笑)。あの時代の連中とはもう会うことがなくてもかまわないけど、何というかヤツらなりに幸せに暮らしてたらいいな…と、ふと思ったりしました。
「SHINY DAY」のおかげで長いこと思い出すことのなかったヤツらの顔や、当時の罵声や怒声や嬌声や笑い声や囁きが、みなが勝手に弾きたおすギターの騒音や、ラジカセから流れるボロテープのメタルの雑音の隙間から甦ってきました。そこはタバコの煙がたちこめた誰かのボロ部屋で、骨格と天板だけのコタツの上には吸殻が山盛りの灰皿とサントリーのホワイトが2本、それをガブ飲みしたコップや湯呑みや欠け茶碗が散らかっていました。で、酔いつぶれた順に、男も女も陽に焼けて色の変わった畳の上に倒れ、二日酔いで頭が割れそうになって目覚めるまでは、皆一様にいい寝顔で束の間の夢を見ていたのです。
FUGITIVE / EARTHSHAKER